last_modified: 2026-01-09
1. 理想と現実の境界線
化学において、溶媒と溶質が分子レベルで完全にランダムに混ざり合う溶液を 理想溶液 (Ideal Solution) と呼びます。 理想溶液が成立する条件は、「成分A同士、成分B同士、そして異なる成分A-B間の引力がすべて等しい」 ことです。このとき、有名なラウールの法則などが厳密に成り立ちます。
しかし、現実はそう単純ではありません。水とエタノールは混ざりますが、水と油は分離します。 この「混ざりやすさ」の違いを、分子動力学シミュレーションで再現してみましょう。
※モデルに関する注釈: このシミュレーションでは、水や油の分子構造を精密に再現したものではなく、Lennard-Jonesポテンシャルを持つ単純な球形粒子を用いています。「水と油」という言葉は、性質の異なる2つの液体の比喩として用いています。
2. 実験ガイド:パラメータで見る溶液の性質
実験 A: 理想溶液(Ideal Solution)
- 設定:
Hetero-Affinityを 1.0 に設定します。 - 現象: 青い粒子と黄色い粒子は、全く区別なく均一に混ざり合います。
- 理論: と の相互作用エネルギーが等しいため、混合に伴うエネルギー的な損得(エンタルピー変化 )がありません。このとき、系はエントロピー増大則(乱雑になりたいという自然の傾向)に従って、混ざり合います。
実験 B: 相分離(Phase Separation)
- 設定:
Hetero-Affinityを 0.5 以下 に下げてください。 - 現象: 時間が経つにつれて、青は青同士、黄色は黄色同士で集まり始め、最終的にくっきりと分離します。
- 理論: 異種間の引力が弱いため、異なる分子が隣り合うとエネルギー的に損をします()。温度が低い場合、エントロピーによる「混ぜる力」よりも、エンタルピーによる「分ける力」が勝り、相分離が起こります。これは実在溶液(非理想溶液)の典型的な挙動です。
3. 熱力学的な解説:自由エネルギーの戦い
物質が混ざるか混ざらないかは、ギブスの自由エネルギー変化 () で決まります。
- (エントロピー項): 混ざることで乱雑さが増すため、常にプラスの値になります。 はマイナスになり、系を**「混ぜよう」**とします。
- (エンタルピー項): 分子間の結合エネルギーの変化です。
- 「水と油」のように相性が悪い(異種間引力が弱い)場合、混ざるにはエネルギーが必要(吸熱)となり、 はプラスになります。これは系を**「分けよう」**とします。
この式の (温度)に注目してください。
- 低温のとき: の項が小さいため、(分けようとする力)が支配的になり、分離します。
- 高温のとき: の項が大きくなり、 を打ち消して混合します。
シミュレータで「分離している状態」から Temperature を上げてみてください。ある温度(上部臨界共溶温度に相当)を超えると、再び混ざり始める様子が観察できるはずです。
4. 溶解度の限界(Solubility)
シミュレータで Hetero-Affinity を低くして分離させた状態でも、よく見ると「相手の領域に迷い込んだ粒子」がごく少数存在することがあります。
これはシミュレーションの誤差ではなく、**「溶解度(Solubility)」**を表しています。 熱力学的には、完全に純粋な状態で分かれるよりも、ごく微量が混ざった方がエントロピー的に有利な場合があります。そのため、どんなに混ざりにくい液体同士でも、理論上はゼロではない溶解度を持ちます(飽和濃度)。
5. まとめ
- 理想溶液: 分子間に好みの差がない。エントロピーの効果だけで混ざる。
- 実在溶液(相分離): 分子間に好き嫌いがある。
- 嫌いな度合い(反発)が強いと、エントロピーに打ち勝って相分離する。
- 温度を上げると、エントロピーの応援により混合しやすくなる。
この単純なモデルでも、高分子のブレンドや合金の析出、ドレッシングの分離など、自然界の様々な現象に通じる基本原理を観察することができます。