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氷から水、そして蒸気へ:Lennard-Jones流体で見る相転移シミュレーション

last_modified: 2026-01-09

1. 物質の三態を作るもの#

水(液体)を冷やすと氷(固体)になり、熱すると水蒸気(気体)になります。この劇的な変化(相転移)は、ミクロな世界では何が起きているのでしょうか?

鍵となるのは、分子同士の 「結合エネルギー(引力)」「熱運動エネルギー(運動)」 の綱引きです。

  • 引力 > 熱運動: 分子は互いに強く束縛され、整列します(固体)。
  • 引力 ≈ 熱運動: 分子は束縛されつつも、位置を入れ替えることができます(液体)。
  • 引力 < 熱運動: 分子は引力を振り切って自由に飛び回ります(気体)。

今回は、最も単純かつ強力なモデルである Lennard-Jones (LJ) ポテンシャル を用いて、この変化を再現します。


2. 実験ガイド:相転移を観察しよう#

シミュレータの「Temperature (T)」スライダーを動かして、状態変化を観察してください。

実験 A: 結晶化(Solidification)#

  1. スライダーを 0.3 以下 に下げてください。
  2. しばらく待つと、粒子同士が引力で集まり、自然に 六角形のパターン(最密充填構造) に並び始めます。
  3. これが 「結晶化」 です。誰かが「並べ」と命令したわけではなく、エネルギー的に最も安定な配置へ自発的に落ち着いた結果です。

実験 B: 融解(Melting)#

  1. 温度を 0.6 〜 0.7 付近まで上げてください。
  2. 結晶構造が崩れ、粒子が不規則に動き回るようになりますが、まだ全体としてはまとまっています。
  3. これが 「液体」 の状態です。形は変わりやすいですが、密度は高いままです。

実験 C: 蒸発(Evaporation)#

  1. 温度を 1.2 以上 に上げてください。
  2. 粒子は激しく動き回り、壁いっぱいに広がります。もはや隣の粒子との結合は無視できます。
  3. これが 「気体」 です。

3. 理論:Lennard-Jonesポテンシャル#

このシミュレーションで粒子間に働いている力は、以下のシンプルな式で表されます。

V(r)=4ϵ[(σr)12(σr)6]V(r) = 4\epsilon \left[ \left(\frac{\sigma}{r}\right)^{12} - \left(\frac{\sigma}{r}\right)^{6} \right]

  • 第1項 (σ/r)12(\sigma/r)^{12}: 斥力(反発力)。粒子同士が重なり合わないようにする力(電子雲の反発)。非常に近距離で急激に強くなります。
  • 第2項 (σ/r)6-(\sigma/r)^6: 引力(ファンデルワールス力)。粒子同士を引き寄せる力。

このたった2つの項のバランスだけで、現実世界の複雑な相転移現象の多くを説明できるのが、物理学の美しいところです。


4. まとめ#

このシミュレータでは、外場(ポテンシャルの谷)はありません。あるのは粒子同士の単純なルールだけです。 それにも関わらず、温度を変えるだけで「秩序ある結晶」から「無秩序なガス」まで多様な構造(創発現象)が現れました。

次回は、さらに複雑な分子(ポリマー鎖など)をつないだときに何が起こるかを見ていきましょう。

氷から水、そして蒸気へ:Lennard-Jones流体で見る相転移シミュレーション
https://ss0832.github.io/posts/20260109_lj_phase_transition/
Author
ss0832
Published at
2026-01-09
License
CC BY-NC-SA 4.0

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