last_modified: 2026-01-04
免責事項: 本記事は、Henry Eyringによる論文 J. Chem. Phys. 1935, 3, 107-115 を基に、生成AIによって作成された解説記事です。数式や論理の正確な内容は、必ず原著論文を参照してください。
1. 序論:化学反応速度論における「衝突」から「活性化」への転換
1930年代初頭までの化学反応速度論において、反応速度を理論的に予測するための主要な枠組みは「衝突理論(Collision Theory)」であった。しかし、この理論は単純な気相反応においても実験値との間に無視できない乖離を示していた。本稿では、Henry Eyringが1935年に発表した論文に基づき、これらの課題を克服するために提唱された「遷移状態理論(Transition State Theory: TST)」または「絶対反応速度論(Absolute Reaction Rate Theory)」の基礎概念と数理的導出を解説する。
1.1 従来手法の課題:衝突断面積と立体因子の不確定性
当時の標準的な手法では、二分子反応の速度は、反応する分子間の衝突回数に基づいて推定されていた 。この際、衝突頻度の算出には、運動量輸送の測定から得られる断面積(Cross-sectional area)が用いられていた 。しかし、この物理的な断面積は、実際に原子の組換え(質量の移動)を伴う「反応有効断面積」とは明確な相関を持たないという根本的な問題があった 。
具体的には、以下の要因が乖離の原因となっていた。
- 衝突の激しさ(エネルギー): 全ての衝突が反応を引き起こす十分なエネルギーを持っているわけではない 。
- 配向(Orientation): 運動量の交換には十分であっても、原子の交換に適した配向で衝突しているとは限らない 。
従来の理論では、この不一致を解消するために経験的な「立体因子(Steric factor)」または「配向因子(Orientation factor)」を導入していた 。この因子は通常 から の間であるが、反応によっては 程度まで小さくなる場合もあり、理論的な予測能力を著しく損なう要因となっていた 。
1.2 Eyringのアプローチ:ポテンシャル曲面と統計力学の融合
Eyringは、原子間の力が量子力学(電子の運動と分布)によって決定される一方で、原子核自体の運動は、ひとたびその力が決定されれば、古典力学に従って記述できると仮定した 。これはBorn-Oppenheimer近似の概念に基づくものである。
彼の提案する核心は、ポテンシャルエネルギー曲面(Potential Energy Surface: PES)が既知であると仮定すれば、統計力学(または分子運動論)の手法を用いて、詳細な反応速度を第一原理的に計算できるという点にある 。このアプローチは、Herzfeld, Tolman, Fowlerらの先行研究や、PelzerとWignerによるオルソ・パラ水素変換の研究を発展させたものである 。
2. 理論的枠組み:活性錯合体の定義
絶対反応速度論において最も重要な概念は「活性錯合体(Activated Complex)」である。これは反応物から生成物へと至る経路上の峠(Saddle point)に位置する準安定な化学種として定義される。
2.1 ポテンシャルエネルギー曲面上の運動
原子系(反応系)の状態は、原子核間距離を座標とする多次元空間上の点として表現される 。
- 安定な化合物: ポテンシャル曲面上の谷(極小点)に対応する 。
- 反応: ある低い領域(反応物)から別の低い領域(生成物)への系の移動に対応する 。
- 活性化状態: 反応経路(最低エネルギーパス)上の最も高い点、すなわち鞍点(Saddle point)に対応する 。
熱反応において、系はボルツマン因子に従い、エネルギー的に最も有利な経路(最低の峠)を経由して反応する 。
2.2 活性錯合体の性質
活性錯合体(活性化状態にある系)は、通常の安定分子と同様の物理的性質(質量、慣性モーメント、振動数など)を持つが、一つの決定的な違いがある 。
- 分解モード: 活性錯合体は鞍点に位置するため、通常の安定分子における振動モードのうちの1つが、負の曲率を持つ(虚振動に対応する)。これは、エネルギー障壁を越える方向への並進運動として扱われる 。
原子の非線形活性錯合体の場合、自由度は以下のように配分される 。
- 全自由度:
- 重心の並進:3
- 回転:3
- 振動: (通常の分子は であるが、1つが反応座標に割り当てられるため)
- 反応座標上の並進:1
この「反応座標上の並進」を統計力学的に処理することが、Eyringの理論の要である。なお、障壁頂上付近は平坦であるため、トンネル効果は通常無視できると仮定される 。
3. 数理的導出:絶対反応速度定数の定式化
Eyringは、反応速度定数を、活性錯合体の濃度と、それが障壁を越えて生成物側へ移動する速度との積として定式化した 。
3.1 分配関数(Partition Functions)による平衡定数の記述
統計力学によれば、ある状態の重み付き状態数(分配関数)は以下のように記述される。
並進の分配関数(1自由度あたり): 一般化座標 と運動量 を用いて、
ここで は長さの次元を持つ積分範囲である 。単位長さあたりでは となる 。
振動の分配関数: 調和振動子近似を用いると、量子力学的分配関数は以下のようになる 。
古典極限()では となる 。
回転の分配関数: 非線形分子の場合:
ここで は主慣性モーメントである 。
反応物と活性錯合体の間の平衡を考えると、活性錯合体の濃度 は、反応物の濃度と分配関数の比によって決定される。
ここで は絶対零度における活性化エネルギーである 。
3.2 障壁通過速度と普遍頻度因子
ここで、活性錯合体の分配関数 から、反応座標(分解モード)に対応する並進の自由度を分離する。 反応座標上の並進の分配関数 は、障壁頂上の微小な長さ を考えると、
となる。ここで は反応座標方向の有効質量である。
活性錯合体が障壁を越える平均速度 は、マクスウェル分布より以下のように計算される 。
注意すべきは、分子子の積分範囲が から である点である(順方向への通過のみを考えるため) 。
反応速度 は、活性錯合体の濃度(単位長さあたり)に通過速度を掛けたものである。
ここで、 は反応座標の並進自由度を除いた活性錯合体の濃度項を指す。 この計算により、質量 や長さ が相殺され、非常にシンプルで普遍的な因子 が導出される 。
3.3 一般化された速度定数の式
以上の考察より、任意の次数の反応に対する比速度定数 は以下の一般式で表される 。
ここで:
- (kappa): 透過係数(Transmission coefficient)。一度障壁を越えた系が戻らずに反応を完結する確率(通常は約1) 。
- : 頻度因子。常温付近で約 の値を持つ。
- : 反応座標の並進を除いた活性錯合体の分配関数 。
- : 反応物(通常状態)の分配関数 。
- : 活性化エネルギー 。
この式(論文中の式(10))は、反応速度が「遷移状態の熱力学的安定性(エントロピー項を含む分配関数)」と「エネルギー障壁(ボルツマン因子)」によって決定されることを示しており、従来の衝突理論の曖昧さを排除した厳密な形式となっている。
4. 具体的な反応系への適用
Eyringは論文中で、いくつかの具体的な反応系に対してこの理論を適用し、数式を展開している。
4.1 3原子反応 ()
直線型の活性錯合体 を経由する場合、速度定数 は以下のように具体化される [cite: 130-135]。
ここでは、反応物 (原子)、(二原子分子)、および活性錯合体 (直線状三原子)の並進、回転、振動の各分配関数の比が詳細に計算される。 特に重要なのは、活性錯合体において、反応物の並進や回転の自由度の一部が、**「曲げ振動(Bending vibration)」**に変換される点である 。
並進の分配関数は 程度の大きさを持つが、これが活性錯合体において「硬い」振動に変わると、その寄与は に近くなる。この並進から振動への自由度の変換に伴う分配関数の減少(約 のファクター)が、衝突理論における「衝突断面積」に対応する概念となる 。
4.2 4原子反応および単分子反応
4原子反応(例:)や単分子分解についても同様の式が導出される 。 特に単分子反応においては、高圧極限において以下の形に帰着することが示される 。
この式は、PolanyiとWignerによって近似的に得られた式と一致しており、活性化エントロピーの変化が振動数の変化として現れていることを示唆している 。
5. 同位体効果の予測
本理論の最も強力な検証材料の一つが、同位体効果(Isotope Effect)の予測である。 古典的な衝突理論では、同位体置換による反応速度の変化は、質量の変化に伴う衝突速度の違い()としてのみ説明される 。例えば、水素(H)を重水素(D)に置換した場合、速度比は と予測される。
しかし、Eyringの式(式(2)や(5))は、量子化された振動エネルギー(零点エネルギー)の影響を明示的に含んでいる 。
活性錯合体と反応物では結合の強さが異なるため、同位体置換による零点エネルギーの変化量()が異なる。これにより、活性化エネルギーの実効値が変化し、単なる質量効果(1.4倍)よりもはるかに大きな反応速度の違いが生じることが説明される 。この予測は実験事実とよく一致する。
6. 衝突理論との整合性と「立体因子」の正体
最後に、Eyringは自身の理論がどのような条件下で従来の衝突理論(式(13))に帰着するかを示し、衝突理論における「立体因子」の物理的意味を明らかにした 。
Eyringの理論において、以下の条件が満たされるとき、結果は単純な衝突理論と一致する 。
- 反応に関与する分子の内部振動数が、活性錯合体になっても変化しない。
- 衝突によって失われる並進の自由度が、活性錯合体において「回転」または「極めて緩い(力の定数がゼロに近い)曲げ振動」に変換される。
逆に言えば、実験的に観測される立体因子()や異常な反応速度は、並進自由度が「硬い」振動自由度へと変換されることによるエントロピーの減少(分配関数の減少)として、統計力学的に厳密に説明できる 。例えば、重い原子を含む系で曲げ振動が硬い場合、反応速度は衝突理論の予測より 程度になることが理論から直接導かれる 。
7. 結論と歴史的意義
Henry Eyringによる1935年の本論文は、化学反応速度論におけるパラダイムシフトを成し遂げた。
- 第一原理的計算の可能性: ポテンシャルエネルギー曲面さえ分かれば、経験的なパラメータ(立体因子など)に頼らずに反応速度を絶対値として計算できる枠組みを提示した 。
- 普遍的な頻度因子: という普遍的な因子を導出し、反応速度の上限を物理定数と温度のみで規定した 。
- 量子効果の取り込み: 零点エネルギーの変化を通じて同位体効果を説明し、トンネル効果や非断熱遷移(本論文では除外されているが)への拡張の基礎を築いた 。
この理論は、反応物と遷移状態の構造(慣性モーメントや振動数)という、より具体的な物理量に基づいて反応速度を議論することを可能にし、その後の計算化学や反応動力学の発展の礎となった。活性錯合体は「分解しつつある分子」であるが、通常の分子と同様に統計力学的に扱えるという洞察は、化学反応の微視的理解における記念碑的な達成である。
参考文献
- J. Chem. Phys. 1935, 3, 107.
