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熱平衡状態における量子補正: Wigner関数による位相空間上の準確率分布の導出と展開

最終更新:2026-01-02

注意: この記事はGemini 3.0によって自動生成されたものです。内容はE. Wignerによる原著論文 “On the Quantum Correction For Thermodynamic Equilibrium” (Phys. Rev. 40, 749, 1932) に基づいています。正確な学術的情報は原著論文を参照してください。

序論:古典統計から量子統計への橋渡し#

古典統計力学において、温度 TT の熱平衡状態にある系が配置 x1,,xnx_1, \dots, x_n をとる確率は、ボルツマン因子 exp(V/kT)\exp(-V/kT) に比例する。高温極限においては、量子論的記述もこの古典的極限に一致するが、低温領域あるいは原子核の運動が量子効果(ゼロ点振動やトンネル効果)を含む場合、この単純な表現は修正を要する。

量子力学において、座標 xx と運動量 pp は非可換な演算子であり、不確定性原理により同時確率分布 P(x,p)P(x, p) を定義することは原理的に不可能である。古典的な Gibbs-Boltzmann 分布 eβHe^{-\beta H} (ここで β=1/kT\beta = 1/kT)に対応する単純な量子力学的表現は存在しない。例えば、β\beta \to \infty の極限において、分布関数は基底状態の波動関数の二乗 ψ02|\psi_0|^2 に収束すべきであるが、一般のポテンシャル VV に対してこれを閉じた形式で記述することは困難である。

1932年、Eugene Wignerは “On the Quantum Correction For Thermodynamic Equilibrium” において、位相空間上で定義される実数値関数(現在 Wigner関数 として知られる)を導入し、この問題に対する体系的なアプローチを提案した。本稿では、Wignerによるこの準確率分布の定義、そのダイナミクス、そして特に熱平衡状態における \hbar 展開による量子補正項の導出過程を数理的に詳説する。


1. Wigner関数の定義と位相空間表現#

1.1 密度行列とWeyl対応#

量子統計力学において、物理量 QQ の期待値は、John von Neumannが示したように、密度演算子 eβHe^{-\beta H} を用いたトレースとして記述される。

Q=Tr(QeβH)Tr(eβH)\langle Q \rangle = \frac{\text{Tr}(Q e^{-\beta H})}{\text{Tr}(e^{-\beta H})}

Wignerは、波動関数 ψ(x1,,xn)\psi(x_1, \dots, x_n) に対して、以下の形式の確率関数 P(x,p)P(x, p) を導入した。ここでは簡単のため1次元(または nn 次元ベクトル表記)で記述する。

P(x,p)=(1π)ndny ψ(x+y)ψ(xy)e2ipy/.(1)P(x, p) = \left(\frac{1}{\pi\hbar}\right)^n \int d^n y\ \psi^*(x+y)\psi(x-y)\, e^{2 i p\cdot y /\hbar}. \quad (1)

ここで hh はプランク定数、=h/2π\hbar = h/2\pi であり、積分変数は yy である(論文中の式(5)に対応)。 この関数は以下の重要な性質を持つ:

  1. 実数性: P(x,p)P(x, p) は実数値関数である。
  2. 周辺分布の再現: pp について積分すると位置の確率密度 ψ(x)2|\psi(x)|^2 を与え、xx について積分すると運動量の確率密度 ϕ(p)2|\phi(p)|^2 を与える。
  3. 期待値の計算: 任意の位置と運動量の関数 f(p)+g(x)f(p) + g(x) の期待値は、古典的な位相空間積分と同様の形式 (f+g)Pdxdp\iint (f+g)P \, dx dp で計算できる。

1.2 準確率分布としての性質#

Wigner自身が指摘するように、この P(x,p)P(x, p) は厳密な意味での「確率」とは解釈できない。なぜなら、不確定性原理の制限を超えた領域や、特定の量子状態においては 負の値を取り得る からである。しかし、位相空間上の補助関数として、古典力学との対応関係を議論する上では極めて強力なツールとなる。なお、この双線形形式は一意ではなく、期待値を再現する要件を満たす他の形式も考えられるが、Wignerはこの形式が最も単純であるとして採用している。


2. 量子Liouville方程式(時間発展)#

シュレーディンガー方程式 iψt=Hψi\hbar \frac{\partial \psi}{\partial t} = H \psi に従う純粋状態の時間発展は、Wigner関数 PP の時間発展方程式(量子Liouville方程式)へと変換される。 ポテンシャル V(x)V(x) を持つハミルトニアンに対し、Wignerは以下の発展方程式を導出した。

Pt=k=1npkmkPxk+λ1++λn=oddλVxλ(/2i)λ1λ!λPpλ(2)\frac{\partial P}{\partial t} = -\sum_{k=1}^n \frac{p_k}{m_k} \frac{\partial P}{\partial x_k} + \sum_{\lambda_1 + \dots + \lambda_n = \text{odd}} \frac{\partial^{\lambda} V}{\partial x^{\lambda}} \frac{(\hbar/2i)^{\lambda-1}}{\lambda!} \frac{\partial^{\lambda} P}{\partial p^{\lambda}} \quad (2)

この式(論文中の式(8))は、古典的なLiouville方程式:

Pclt=pkmkPclxk+VxkPclpk\frac{\partial P_{cl}}{\partial t} = -\sum \frac{p_k}{m_k} \frac{\partial P_{cl}}{\partial x_k} + \sum \frac{\partial V}{\partial x_k} \frac{\partial P_{cl}}{\partial p_k}

と比較すると、\hbar のべき乗を含む高階微分の項(λ3\lambda \ge 3)が追加されている点が異なる。 V(x)V(x) が調和振動子(2次形式)までの場合、3階以上の微分が消失するため、Wigner関数の時間発展は古典的なLiouville方程式と完全に一致する。これは、調和振動子において量子波束の重心運動が古典軌道に従うというエーレンフェストの定理とも整合する重要な性質である。

また、Wignerはこれを「運動量の不連続なジャンプ」として解釈する別の積分形式(論文中の式(11))も提示しており、ポテンシャルが光量子のように運動量を変化させる様子との類似性を指摘している。


3. 熱平衡状態における \hbar 展開#

本論文の核心は、カノニカル分布(熱平衡状態)における分布関数の具体的な表式を求めることにある。 混合状態におけるWigner関数は、各エネルギー固有状態 ψλ\psi_\lambda のWigner関数 PλP_\lambda を、ボルツマン重み eβEλe^{-\beta E_\lambda} で重み付けした和となる。

P(x,p)=λeβEλPλ(x,p)P(x, p) = \sum_\lambda e^{-\beta E_\lambda} P_\lambda(x, p)

これは、演算子としての密度行列 eβHe^{-\beta H} のWigner変換に相当する。Wignerはこの演算子の行列要素を \hbar のべき級数として展開する手法を用いた。

3.1 Bloch方程式と演算子展開#

密度演算子 ρ=eβH\rho = e^{-\beta H} は、Bloch方程式(虚数時間 τ=iβ\tau = -i\hbar\beta におけるシュレーディンガー方程式と見なせる)を満たす。 Wignerは、変換されたハミルトニアン H~\tilde{H} を導入し、その指数関数の行列要素を計算する手法をとった。

H~=ϵ+k=1n(ipkmkxk22mk2xk2)\tilde{H} = \epsilon + \sum_{k=1}^n \left( \frac{i\hbar p_k}{m_k} \frac{\partial}{\partial x_k} - \frac{\hbar^2}{2m_k} \frac{\partial^2}{\partial x_k^2} \right)

ここで、ϵ\epsilon は古典エネルギー pk22mk+V(x)\sum \frac{p_k^2}{2m_k} + V(x) である。 0\hbar \to 0 の極限(古典極限)では、\hbar を含む項が消失し、古典的なボルツマン分布 eβϵe^{-\beta \epsilon} が得られる。

3.2 量子補正項の導出#

Wignerは、分布関数を \hbar の偶数べきで展開した。

P(x,p)=eβϵ(1+2f2+4f4+)P(x, p) = e^{-\beta \epsilon} (1 + \hbar^2 f_2 + \hbar^4 f_4 + \dots)

ここで奇数次の項(1\hbar^1 など)が存在しないことは、調和振動子の零点エネルギーの寄与が \hbar の1次で消失する事実や、分布の実数性から論じられている。ただし、同一粒子の Bose/Fermi 統計を考慮すると一次のℏ項が現れる可能性がある(Wigner の原著参照)。 方程式(2)に対し、定常条件 P/t=0\partial P / \partial t = 0 を課し、\hbar の次数ごとに係数比較を行うことで、補正項 fkf_k を決定する偏微分方程式系が得られる。

第二次補正項(2\hbar^2 のオーダー)#

論文中の式(25)で与えられる最初の量子補正項 f2f_2 は以下のようになる。

f2=β28k1mk2Vxk2+β324k1mk(Vxk)2+β324k,lpkplmkml2Vxkxlf_2 = -\frac{\beta^2}{8} \sum_k \frac{1}{m_k} \frac{\partial^2 V}{\partial x_k^2} + \frac{\beta^3}{24} \sum_k \frac{1}{m_k} \left( \frac{\partial V}{\partial x_k} \right)^2 + \frac{\beta^3}{24} \sum_{k,l} \frac{p_k p_l}{m_k m_l} \frac{\partial^2 V}{\partial x_k \partial x_l}

この式は、以下の物理的要素から構成されている:

  1. ポテンシャルの曲率 (2V\nabla^2 V): 量子力学的粒子がポテンシャルの谷(曲率が正)にいる場合、零点振動の効果により実効的なエネルギーが上がり、存在確率が古典的予測より減少することを示唆する。
  2. 勾配の二乗 ((V)2(\nabla V)^2): 量子トンネル効果や波動関数のしみ出しに関連する項。
  3. 運動量との結合項: 運動量分布もまた、ポテンシャルの形状依存して古典的なマクスウェル分布から歪みを受ける。

3.3 配置空間での確率密度(Wigner-Kirkwood展開)#

化学反応論や分子シミュレーションにおいて特に有用なのは、運動量 pp について積分した位置空間上の確率密度である。Wignerは論文中の式(28)において、これを明示的に与えている。

ρ(x)= ⁣dp1dpnP(x,p)=eβV[12β212k1mk2Vxk2+2β324k1mk(Vxk)2]\rho(x) = \int \dots \int dp_1 \dots dp_n P(x, p) = e^{-\beta V} \left[ 1 - \frac{\hbar^2 \beta^2}{12} \sum_k \frac{1}{m_k} \frac{\partial^2 V}{\partial x_k^2} + \frac{\hbar^2 \beta^3}{24} \sum_k \frac{1}{m_k} \left( \frac{\partial V}{\partial x_k} \right)^2 \right]

この式(しばしば Wigner-Kirkwood展開 の主要項と呼ばれる)は、低温または軽量原子(水素など)を含む系において、自由エネルギーに対する量子補正を見積もるための標準的な公式となっている。 特筆すべきは、確率密度がポテンシャルの局所的な形状(微分)のみによって補正されるという点である。

  • 2Vx2>0\frac{\partial^2 V}{\partial x^2} > 0(安定平衡点近傍)では、確率は古典値より減少する(零点エネルギーによる押し上げ)。
  • 2Vx2<0\frac{\partial^2 V}{\partial x^2} < 0(鞍点や障壁頂上)では、確率は古典値より増大する。これは、粒子が障壁をトンネルして存在できる可能性(あるいは不確定性による位置の広がり)を反映しており、遷移状態理論におけるトンネル補正係数(Wigner補正)の基礎となる。

4. 歴史的背景と物理的意義#

4.1 歴史的位置づけ#

1932年は量子力学の形式化が一通り完成し、その応用へとフェーズが移行する時期であった。Schrödinger方程式(1926)の確立後、統計力学との整合性は重要な課題であった。Wignerのこの研究は、von Neumannの密度行列の理論 を受け、それを具体的な計算可能な形式、特に古典極限との対比が明確な形式へと昇華させたものである。 同論文内では、F. Londonや Slater, Kirkwoodらの分子間力や第2ビリアル係数に関する研究との関連も議論されており、当時の理論化学・物理化学の最前線における「量子効果の取り扱い」に対する切実な要請が背景にあったことが窺える。

4.2 準確率分布の現代的意義#

Wigner関数は、その「負の値をとる」という非古典的な性質ゆえに、量子光学や量子情報理論において、状態の非古典性を定量化する指標として現代でも盛んに用いられている。しかし、本論文の文脈である熱平衡状態の補正においては、\hbar 展開の低次項を用いる限り、Wigner関数は通常正の値を保ち、半古典近似(Semi-classical approximation) の基礎を与える。

特に計算化学の分野では、重い原子の運動を古典的に扱いながら、軽い原子(プロトンなど)の量子効果を取り入れる際に、経路積分分子動力学(PIMD)などの高コストな手法を使う前の第一近似として、Wigner補正(式28に基づく補正)が現在でも広く利用されている。これは、Wignerが1932年に導出した「ポテンシャルの微分を用いた補正項」が、計算コストと精度のバランスにおいて極めて実用的であるためである。


結論#

Eugene Wignerによる1932年の論文は、量子力学と統計力学の境界領域において、位相空間上の準確率分布という新しい概念を導入した記念碑的研究である。彼が導出した熱平衡状態における量子補正項は、ボルツマン因子に対する 2\hbar^2 のオーダーの補正として、ポテンシャル曲率と勾配に依存する形式を持つ。 この結果は、単なる数理的な展開にとどまらず、零点振動やトンネル効果といった量子現象が熱平衡分布に与える影響を直感的に、かつ定量的に理解するための枠組みを提供した。今日、反応速度論や分光学的解析において用いられる半古典的補正の多くは、Wignerが本論文で確立した数理的基盤の上に成り立っている。


参考文献#

[1] E. Wigner, “On the Quantum Correction For Thermodynamic Equilibrium”, Physical Review, Vol. 40, 749-759 (1932). [2] J. von Neumann, Göttinger Nachrichten, 273 (1927). [3] F. Bloch, Zeitschrift für Physik, 52, 555 (1929). [4] L. Landau, Zeitschrift für Physik, 45, 430 (1927). [5] J. G. Kirkwood, Physical Review, 33, 39 (1932).

熱平衡状態における量子補正: Wigner関数による位相空間上の準確率分布の導出と展開
https://ss0832.github.io/posts/20260102_compchem_wigner_correction/
Author
ss0832
Published at
2026-01-02